20101022

asylum
2011.1.15 sat

SOUND:
CMT (POWWOW) 
DiE (Rhythm)

LIVE PAINT:
中LA (ATTACK THA MOON)

LIGHTING:
ODA (mind-bending)

ART WORK:
山尾光平/BAKIBAKI


start .23:00-
DOOR.2000yen with card.1500yen(ドリンク別途)
at WHOOPEE'S



CMT

自身がレジデントDJを務める"POWWOW" @ 大阪アメ村CLAPPER(毎月最終土曜日開催)、"NRBKJ" @ 東京東高円寺GRASSROOTS(不定期開催)、“DESIRE” @ 福岡DECADENT DELUXE(不定期開催)を軸に全国各地で活動中。
"SUN" "FLOWER OF LIFE" "FUTURE TERROR" "eleven." "HALFDAYS" "L.S.D. TOUR" "DOMMUNE"といった、数々の最重要パーティへの出演や、様々なシーンで活躍するDJ、バンド、アーティストとの交流、そしてアメリカ・ネバダ州ブラックロック砂漠にて年に一度行われているフリークアウト・フェスティバル"BURNINGMAN"や、イギリス・ロンドン、ロシア・ウラジオストクでのプレイ等・・・・様々な経験の中で培われたそのDJプレイはアンダーグラウンド・パーティシーンに多大な影響を与え、絶大な支持を得ている。
自身の主宰するSBM recordingsよりリリースされているMIX CDシリーズは全てのタイトルにおいて大好評を博し、異例のアンダーグラウンド・ヒットを記録。
2010年9月、BLACKSMOKER RECORDSより新作MIX CD” Observacion Astronomica”をリリース。



DiE
20世紀末よりDJ・オーガナイズを開始。
過去にRAUDIVE/Cristian Vogel/DJ RUSH/UMEK/Adam Beyer/Cari Lekebusch等々、国内外アーティストを招聘。
各地で踊る中で培った、現場叩き上げの低音グルーヴ感覚で図太いTechnoを鳴らし続けるレコード派。 




Kazuya Ninagawa (SLEAZE / asylum)
http://www.myspace.com/kazuyaninagawa
http://www.oasis-radio.net/shows_display.php?id=24
"This is true house music"をコンセプトにHouse,Electro,Acid.minimalをMixし、独自のDIRTY HOUSE MUSICスタイルを展開中。
TRANSCEND@METROやSLEAZE@WORLDにて、LAYO&BUSHWACKA!/GLIMPSE/Tiefschwarz/LOCO DICE等、国内外のアーティストを招聘しつつ、ブレる事の無いスタイルでフロアをロックする。
asylumでは、ストイックな拘りと、現場で培われたスキルで、ダンスフロアに新たなグルーブを創りだす表現者である。
 






中LA

月は空の穴であると信じる中LAは、山や風、雲や草、水や光、空気や温度、言葉や海、
そんな形があるようでないものを、無数に半永久的に流動的に描く。
『 - ひとつひとつに大袈裟な意味などは無い。全体をみるのだ。
全体以上にみるのだ。これは異種新型の風景画なんだ。 - 』





ODA

 2005年 斬新な映像表現とスクリーンとしてのデコレーションをコンセプトに、様々な空間視点からのPARTY【unique】を主催。 京都アンダーグラウンドに種を落とす。 その後、空間演出集団 mind-bendingを結成。 国内外の多岐に渡るアーティストと共演し全国に芽を息吹く。 現在はベルリンでの【unique】開催を目標に、Vj . Lighting . Decorationをシームレスにコントロールし、明 暗 静 動 を表現中。



山尾光平/BAKIBAKI www.yamaokohei.com

1978年大阪府生まれ/東京在住。 2003年京都市立芸術大学/美術学部卒業。
2001年京都にて、Koutaro Ooyama(Mon)とライブペイントデュオDOPPELを結成。
アンダーグランドクラブシーンでの活動を軸に、さまざまな企業とのコラボレートを
果たす。上京後は、ソロ・アーティスト"BAKIBAKI"としてライブペイントを中心に、
店舗内外壁画、屏風など伝統文化との融合、テーピングによるパブリックアート、
音楽家の装丁や衣装制作など多岐にわたり、コーディネイターとしても活躍している。







1985年頃、ホテル内のライヴ&レストランバーとして開業。
当時、ピアノ演奏やジャズ演奏などを聴きながら食事を楽しむ場として賑わいを見せる。
1990年頃、バンドブームの到来。
 「baby-!! 若者にも、もっとウーピーズを楽しんでもらおうやー!!」
店長エディー片山のこの一言により、レストランバーとしての営業を封印。
Live House WHOOPEE'S 誕生 (表の看板はその時の名残、、、)

そして現在に至る。